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てぃーだブログ › たるーの島唄人生 › 島唄に思う › 「戦艦大和」は美しいか?

「戦艦大和」は美しいか?

照屋林助さんが亡くなったのは昨年。この沖縄の大衆芸能の星というべき方が亡くなって大きなショックを受けた。
独創的な歌、沖縄らしい情け歌、皮肉たっぷりな歌、どんな歌でも自由自在に作り広めてこられたこの林助さんの名作の一つがこの「道具の美らさ」。
中江監督の「ホテルハイビスカス」の中で、主人公のお父さん役の照屋政雄さんが、主人公とと一緒にこの歌を歌う。私が始めて耳にしたのはこの映画の一シーンだった。
サウンドトラックを聴きなおして、あらためて林助さんの芸の力を感じる。

このような意味である。

道具の美らさ(道具が美しいことよ !)

一、ちんとぅんてんとぅん てんとぅるるん ちんとぅんてんとぅん てんとぅるるん(以下省略)
夕べのお客は島尻の人だったがあのお 客の道具の美しいことよ!

どうして美しいのか?(以下省略)

一本松の新芽の芯の強く曲がったみたいに この曲がりは治るのでしょうか?(治らないほうがまし)
二、夕べのお客は中頭の人だったがあのお客の道具は美しいことよ!
美里前の草原の里芋キノコの開ききったみたいに あのカブトは治るのでしょうか?(治らないほうがまし)

三、夕べのお客はの山原の人だったがあの お客の道具の美しいことよ!
ヤンバルの山の竹ノ子が強くとがったみたいに あのとがりは治るのでしょうか?(治らないほうがまし)

四、夕べのお客はの宮古島の人だったがあのお客の道具の美しいことよ!
畑の大茎種(さとうきび)の台風が吹いてむちゃくちゃにしたように あの ねじれは治るのでしょうか?(治らないほうがまし)

五、夕べのお客は八重山の人だったがあのお客の道具の美しいことよ!
名蔵山の赤山芋がはちきれたみたいに あのひび割れは治るでしょうか(治らないほうがまし)

六、夕べのお客は首里の人だったがあのお客の道具の美しいことよ!
実れよ実れ ナスビの梢のコブ 実り下がったような あのコブは治るでしょうか(治らないのがまし)

七、夕べのお客は那覇の人だったがあのお客の道具の美しいことよ!
庭に実っている霜実り(季節はずれの)ゴーヤーがいぼいぼだらけ あのイボは治るでしょうか(治らないのがまし)

八、夕べのお客は本土の人だったがあのお客の道具の美しいことよ!
寺の御門の仁王仏が踏ん張ったみたいに あのちからコブはは治るでしょうか(治らないほうがまし)

九、夕べのお客は海軍あがりの勇士だったがあのお客の道具の美しいことよ!
戦艦大和の艦砲射撃がはじまったみたいに あの嫌な癖は治るでしょうか (絶対治らない)


と、夕べのお客を沖縄の各地、島々の人、または本土の人間、軍人という設定にし、その「道具」がいかに美しい?かを可笑しく表現する。
宴会芸では、この歌にあわせてゴーヤーを腰につけた面白い格好をしたものが踊るらしい。
ただの笑いではなく、最後に出てくるように戦艦大和の艦砲射撃をも「嫌な癖」と一笑に付する。

これをけしからんと怒る人がもしかしたらおられるかもしれない。

実は今広島、呉という戦艦大和を作った町は空前の「大和ブーム」である。
映画も作られ全国的にも静かなブームと言えるのかもしれない。
昨日、私が参加した「呉みなと祭」も大和の色が強くだされていた。自衛隊、在日米軍などの音楽隊やパレードも多かった。市民の生活の中にこの「大和」が強く浸透していると感じた。不況の町は、今「大和」を町おこしのテーマとして、それが「成功」している。

戦艦大和は、1945年沖縄に上陸した連合軍と交戦するために鹿児島県沖を航行中に潜水艦や戦闘機に猛撃され沈没する。不沈空母といわれた巨大戦艦は、航空機による機動力重視に移行しつつあった20世紀の軍事技術とは逆に、巨大さを誇るばかりで攻撃の格好の的にされてあえなく沈没した。

その戦艦大和を「誇る」広島県民が多いなかで、このような歌が、戦艦大和が助けにいった沖縄の人によってつくられるのはけしからん!という人は、もう一度沖縄戦がなんであったのか、なぜ広島の原爆と同じ20数万の被害を生んだのか、その後の基地の押し付け、被害の大きさをもう一度知って欲しい。

巨大な戦艦が、守りきれなかった「平和」を、もう一度巨大な軍事力で守ろうとすることがいかに「可笑しい」ことなのか。

林助さんはこの歌を作ることだけで、その重みを教えてくれる。

権力を誇れば誇るほど、それは裏腹に笑いの対象となる。
チャップリンが独裁者ヒトラーを喜劇の対象としたように。
もしかしたら林助さんは、この最後の九番を歌にしたいがために、ヤンバルから先島の人々までまんべんなく、歌詞の中に盛り込み、そっと笑いのなかに痛烈な批判を込めたのかもしれない。

先週金曜4月28日は「沖縄デー」。
1946年対日講座条約が発効され、沖縄はアメリカの施政権下に入り「切り捨てられた」日なのだ。
本土の私達が忘れても沖縄の人々は忘れない。

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2006年04月30日 18:09
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