歌の泉
台風も去って、今日も暑い一日でした。
さて唄が覚えられない、と嘆く方が多い一方、
すぐに覚えてしまう方もなかにはおられます。
その方々にうかがうと
「毎日、車でCDを聴いて唄ってます」
「工工四を自分なりに書き換えていると自然に覚えました」
などと、それぞれの努力があるようです。
かの嘉手苅林昌先生は泉のように歌詞が涌きだしてきたといいます。
その場で即興で歌詞を作るのも天才的だったと聞きます。
前回ご紹介した「沖縄の魂の行方」の
宮古根では、即興の歌詞どころか
一(てぃー)ち、ニ(たー)ち、三(みー)ちゃー ……
と十まで数えたものだけを唄にのせたり
いろはにほへと…
なんと「いろは」まで宮古根にされてしまいました。

毎回宮古根の歌詞が変わり、三線の手も変わるということを
「生きている宮古根」と呼ばれることもあります。
身体に染み付いた唄は自由自在に取り出し可能なのでしょうね。
覚える、ということは「体に染み付ける」ということが大切なのかもしれません。
さて唄が覚えられない、と嘆く方が多い一方、
すぐに覚えてしまう方もなかにはおられます。
その方々にうかがうと
「毎日、車でCDを聴いて唄ってます」
「工工四を自分なりに書き換えていると自然に覚えました」
などと、それぞれの努力があるようです。
かの嘉手苅林昌先生は泉のように歌詞が涌きだしてきたといいます。
その場で即興で歌詞を作るのも天才的だったと聞きます。
前回ご紹介した「沖縄の魂の行方」の
宮古根では、即興の歌詞どころか
一(てぃー)ち、ニ(たー)ち、三(みー)ちゃー ……
と十まで数えたものだけを唄にのせたり
いろはにほへと…
なんと「いろは」まで宮古根にされてしまいました。

毎回宮古根の歌詞が変わり、三線の手も変わるということを
「生きている宮古根」と呼ばれることもあります。
身体に染み付いた唄は自由自在に取り出し可能なのでしょうね。
覚える、ということは「体に染み付ける」ということが大切なのかもしれません。
2011年07月21日 17:35