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帽子くまー

読谷村歴史民俗資料館を訪れた理由は資料館に勤務されるTさんにお会いするためでした。

「帽子くまー」という曲にパナマ帽を作る話がでてきますが私にはさっぱりわからないので少し前に歴史民俗資料館に電話をしてお話を伺ったことがあります。Tさんたちは親切丁寧に説明をしてくださいました。感謝!

帽子くまー

一、(女)あたま小や造てぃ ぬちさぐや知らん 愛し思里に習いぶさぬ サーミナウリサンセイ

二、(男)天止みてぃ呉らば 我が妻になゆみ(女)組みあぎてぃ呉てぃん 妻やならん(男)サー愛人小どぅすんなあ

三、(女)天や我がたまし やまだきやうんじゅ 縁なりば里前 二人し組まや サーミナウリサンセイ

四、(男) 一本針や 押すてぃ 二本取てぃなぎてぃ何時が組み上ぎてぃ 耳小抜ちゅら サー天小胴小縁小耳小取てぃ耳抜かや

五、(男女) 帽子組ま哀り 組まんしが知ゆみ 勘定前になりば さら夜明かち サー さら夜明かち




かつて沖縄では1900年あたりから沖縄戦開始の時期まで、「パナマ帽」を作る人々を「帽子くまー」と呼びました。

沖縄ではアダン葉を使用し手編みで製作しました。

その作業は工場や家庭内で作業が行われ沖縄戦までの40年間のうち、一時は「砂糖」「泡盛」に次ぐ産業にまでなりました。

その帽子を作る作業は読谷村ではもうほとんどなくなり、今では伊江島で土産物にするために数人がされているようです。
Tさんたちはその方々から習われたそうです。

「しかし天を編み上げるのは難しくて大変でした」とTさん。

歌からも大変だった作業の様子が少し伝わりますね。
またまた資料をいただいたりでお世話になりました!




展示品のなかには


▲昔のパーランクー。もう真っ黒。


▲大太鼓と締太鼓。
エイサーの伝統を感じます。



▲沖縄市のかりゆし園に用事で行きましたが、さすがエイサーの町!


しかし…園を出たころは暴風雨が。

▲街路樹は折れたり根こそぎ倒れたり暴風雨の中の運転には正直恐怖を感じました。

農作物なども甚大な被害だったのではないでしょうか。

翌日みかけたパパヤーや葉たばこなどは真っ黒でした。クワディーサーも。

被災された方々には慎んでお見舞い申し上げます。


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2011年06月02日 07:16
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