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てぃーだブログ › たるーの島唄人生 › あまはいくまはい  › 艦砲の喰え残さ

艦砲の喰え残さ

「島唄まじめな研究」まだ未熟な力しかないのだが、沖縄の曲を取り組ませていただいてとても日々が充実している。このブログでこの曲を訳した。
とくにこの曲は、私がウチナーグチと出会い、胤森さんの講座を聞くようになって、最初に感動した唄だった。

艦砲の喰い残し、というこの唄、沖縄の平和資料館やガマの生き残りの方に伺った話からすると非常にあっさりと最初は感じた。
しかし、歌詞にとりくむうちに、その表面の軽さに比してどれだけ婉曲な表現であの戦争を表現するかという苦心の作であると思うようになった。
戦争を語るのに爆音も真っ赤な鮮血もないどころか、「喰い残し」というユニークな表現は民衆が「戦争」という怪物の前ではなすがままだったということだろう。戦争は始まってしまったらとめることは難しい。今の日本や世界の状況を見てもそう思う。「敵」というものを作り出していまうと「防衛」から「軍備増強」というきな臭い言葉が当たりまえのように語られはじめる。沖縄戦の当時も本土防衛、鬼畜米英が当たり前のように語られた。今とどこが変わるだろうか。「北朝鮮は鬼畜」「中国も怖い」身近な人からそういう言葉を聞きだす時代になった。
今一度私は沖縄に関わるものとしてあの沖縄戦をじっくりと見つめてみたい。それがこの唄に託されたメッセージだと思うからである。私が島唄を始めたきっかけは、かっこいいとか、その音楽性や楽天性などではなく、それを歌う人々の心の中にあるもろもろのメッセージが私達が求めているものではないかと感じたからである。「私達が求めているもの」とはこの私達が住む社会が陥っている悩みに応える何かがあると感じたからである。とはいえ沖縄民謡が私達を救う、などと思っているわけではない。
よく沖縄から日本が見える、という。確かに沖縄に関わりながら、自分達の文化とはなんだろう、言葉とは、習慣とは、宗教とは、人間のかかわりとは、と考えさせられた。私達は見失いつつある自分たちの暮らしのあり方をどこかで取り戻さなくてはならないが、そのヒントがもしかしたら沖縄の唄の中に隠されているかもしれない、と思うだけである。
とはいえやっていることはひたすら唄を訳すこと。歌うこと。学ぶことである。
それしか自分の今できることはないからである。

艦砲ぬくえぬくさー。
もう一度ゆっくり沖縄の平和資料館、平和の礎を歩いてみたくなった。艦砲の喰え残さ

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2006年04月12日 23:14
この記事へのコメント
はいさい!たるーさん 最初聞いたときはワタシも戦争の唄にしては
あっさりと唄ってるな~と、でも、最後はちゃんと「生まりてぃ 変わてぃん
忘らりゆみ」と唄っていますね

今揺れている普天間基地移設、知事は頑として拒否の姿勢をしていたのに
何を交換に折れてのでしょうか
がっがりです。
戦の中での悲惨さを忘れないでほしいですが
Posted by MAGI at 2006年04月13日 17:28
喉元過ぎれば熱さを忘れる、という言葉通りなのでしょう。戦世が終わって60年。戦争体験者も亡くなったりご高齢になられたり。私たちの責任となすべきことは何なのでしょうか。
何を教訓にすべきか、あまり考える時間もないかもしれません。
Posted by せきひろし(たるー) at 2006年04月14日 12:00
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