影

帰宅する途中、後からパトカーのサイレン。
その前には高速で逃げようとする不審な車。
どんどん追い上げて私の車に近づく。
なんかまずい!
自宅まであと数メートル。
バックミラーに赤い回転灯と逃げる不審者が近づく。
駐車場に入った横を大きなサイレンの音を立てたパトカーと車が走り去る。
しばらく、遠くに去るサイレンの音に聞き耳を立てた。
なんか映画を観ているようだった。
そうえば、昨日みたスピルバーグの「ミュンヘン」
かつてのミュンヘンオリンピックでのテロ事件にからんだドラマなのだが、イスラエルの報復を生々しい映像で描いて「報復では平和はこない」というメッセージを含んだサスペンスになっている。
サスペンスの部分がさすが巨匠らしく、見入ってしまうが、どこか深みを感じないのは何故だろう。
最後のシーンに70年代の世界貿易センタービルを遠くにうつしながら主人公が報復テロに怒りを燃やすシーンがある。
そういえば今日は9、11から5年目だ。
もはや、誰もテロや戦争の現実を他人事とはいえない時代になったことを象徴する事件だった。かつては「政治」は「ひとごと」のようであり、幸せは各自で守るものだった。しかし、「テロ」はその現実の薄さを露呈させた。それはいいことではない。武力で主張の正しさをしめすことは「戦争」の延長にすぎない。
そういえば映画「ゲド戦記」もみた。これは宮崎吾郎のものではなくハリウッドの実写版。
なかなか影とのたたかいをうまく描いている。
「戦争」と「テロ」の関係はこの影の関係にすこし似ている。(映画を観ていない人にゃちょっとわからんかな)
影をなくすには「逃げるのではなく追い取り込むことだ」とゲドの師匠がいう。
戦争もテロも「逃げる」のでは「追われる」だけだ。
戦争を生み出すしくみは「政治」だけでなく「生活」の中にもあるのがミソだ。テロも同様だと気づくことがとても難しい。
秋風も吹き出した。
遠くのサイレンの音を聴きながら思ったことだ。
2006年09月11日 00:31