こどもたちの願い
昨日、平和式典で子ども代表の二人がのべたこと。
身近に起きた小学生を殺害した事件を通して知った命の重さ。
原爆や戦争でなくなった命も同じ「命」であるということ。
人間は言葉がある、対話をすれば争いもおきない、と。
毎年、平和への誓いを市民はする。
しかし政治家は争いの備えをし、市民のなかには人の命を軽く奪う事件が増えている。
こどもたちは毎年その現実に接して「対話」という、しごくあたりまえの提案をした。
最前列に座っていた我が国の首相は目を閉じ、時々顔をポリポリかきながら何を思ったか。
こどもにはこれ以上の提案はできない。
国と国が「国益」をめぐる争いをしはじめたら「対話」ですら相手を誹謗中傷する道具になる大人の世界。
「戦争でもなくては景気は回復しない」と我が国の経済界のトップが発言した。
憲法を変えて普通に「戦争」ができる国にしようとする人々。
「対話」というこどもたちの声はまたもや大人たちの「利害」「国益」「景気」という合唱に掻き消されていくのか。
いや。毎年、この日我が国の首相を前に言い続けることが大事だ。
身近に起きた小学生を殺害した事件を通して知った命の重さ。
原爆や戦争でなくなった命も同じ「命」であるということ。
人間は言葉がある、対話をすれば争いもおきない、と。
毎年、平和への誓いを市民はする。
しかし政治家は争いの備えをし、市民のなかには人の命を軽く奪う事件が増えている。
こどもたちは毎年その現実に接して「対話」という、しごくあたりまえの提案をした。
最前列に座っていた我が国の首相は目を閉じ、時々顔をポリポリかきながら何を思ったか。
こどもにはこれ以上の提案はできない。
国と国が「国益」をめぐる争いをしはじめたら「対話」ですら相手を誹謗中傷する道具になる大人の世界。
「戦争でもなくては景気は回復しない」と我が国の経済界のトップが発言した。
憲法を変えて普通に「戦争」ができる国にしようとする人々。
「対話」というこどもたちの声はまたもや大人たちの「利害」「国益」「景気」という合唱に掻き消されていくのか。
いや。毎年、この日我が国の首相を前に言い続けることが大事だ。
2006年08月07日 14:33