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てぃーだブログ › たるーの島唄人生 › 道

私の沖縄との出会いで忘れることができないのがエイサー道じゅねーとの遭遇。
今から10年前、コザ(沖縄市)は中之町。時はまさにウークイ(お盆の最終日、送り日)。
用事で沖縄に来ていたのだが、飲み屋さんに「エイサー隊来る、○月×日何時、某すし屋前」というような手書きのポスターを見た。
時計を見ると、もうその時間ではないか。某すし屋はすぐ近く。見に行こう、ということになり行く。が、時間を過ぎても何もおこらない。ま、こういうことはよくあることだ。

遠くで太鼓の音。そちらに歩いていくとパトカーが道路を封鎖。

向こうから赤や青い原色の色に身を包んだ集団が、まず三線の音色、歌。
そして大太鼓の音、甲高い太鼓(あとでパーランクーだとわかる)、そして若い男女の声が入り混じり近づいてくる。

目の前で初めて見たエイサーは屋慶名青年会だった。

背筋が凍るという体験を始めてした。

それから5年後。
私は仲間たちと広島でエイサーをする団体を立ち上げた。
広島エイサー琉風会と名づけた。
それから5年間、ほぼ毎週金曜の練習を重ねた。

沖縄で見たものと同じ、というわけには絶対いかない。
それより、自分たちの思いを、沖縄の心に近づけられないか、これがわたしの思いだった。
琉風会はみんなの思いで運営する。私の思いは一個人の思い。
それをぶつけあい、時には分裂もし、ときには結束が固まり、ときにはノンベンダラリとしながらここまでやってきた。

広島の矢野という町の作業所での祭り「ブルーベリー祭り」
道
琉風会でもベテランというよりも新人に近いメンバーがよく頑張った
道
まるで植物のように増殖する京太郎
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地謡の二人。
左はたるー。右は故嘉手苅林昌さん、ではありません!まるで親子?(笑)
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記念撮影。
道

実は、いろいろなところからエイサーの地謡はやめたほうがいいといわれている。
民謡の道を歩むなら、一時期のものとしてはよいが、いつまでもやるものではない、と。
それはまったくその通りだと思う。
声の出し方も、三線も違う。
それはわかる。しかし、一度作り出したこの仲間から離れることができるだろうか。
悩む。

2006年07月24日 22:23
Posted by たる一
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