
反戦平和写真展
コンクールで訪れた西原町中央公民館の片隅で開催されていた「西原町反戦平和展」

コンクールの休憩時間に少しのぞいてみた。

土の中からでてきた銃剣。
ぼろぼろになり年月を感じさせるが、60年前、この銃剣が人の命を奪っていたのかもしれない。

首里に「降った」砲弾の跡。
逃げる場所もないほどの艦砲射撃の跡だ。
米軍も上陸するために徹底的に、市民、兵士の区別無く殺戮しておかないと自分たちがあぶないと思ったのだろう。軍事作戦では「常識」という作戦は、狂気でもある。


広島と同じ20万人以上の人々が亡くなった沖縄戦。一般市民が多数巻き込まれ、その中でも子ども、女性などの被害が目立つ。
そして、病院では負傷した兵士に手榴弾が渡され「捕虜になるな」という命令で自決が強要されている(下の写真)
真夏のコンクール会場で見たこの写真一枚一枚が胸に残っている。
普通の公民館が主催する、この写真展。私達になにを訴えるだろう。
新聞をにぎわす「テポドン」などのミサイル。
こんなミサイルが降ってくるのはごめんだ。
しかし、「なにをするか分からない国、こちらも備えを」「いや、備えではだめだ、先に攻撃を」という議論もテレビやあちこちから聞こえてくる。
沖縄やヒロシマの体験を人々はどう受け止めたか。
もう、二度と戦争はしない、と誓った。
誓うだけでなくお互いの信頼を築き「平和」を作り上げようと誓った。
殺されるのも、殺すのもやめるということだ。
よくよく60年前の結末を心に刻んで現在を生きる教訓にすべきときがきたようだ。
コンクールの休憩時間に少しのぞいてみた。
土の中からでてきた銃剣。
ぼろぼろになり年月を感じさせるが、60年前、この銃剣が人の命を奪っていたのかもしれない。
首里に「降った」砲弾の跡。
逃げる場所もないほどの艦砲射撃の跡だ。
米軍も上陸するために徹底的に、市民、兵士の区別無く殺戮しておかないと自分たちがあぶないと思ったのだろう。軍事作戦では「常識」という作戦は、狂気でもある。
広島と同じ20万人以上の人々が亡くなった沖縄戦。一般市民が多数巻き込まれ、その中でも子ども、女性などの被害が目立つ。
そして、病院では負傷した兵士に手榴弾が渡され「捕虜になるな」という命令で自決が強要されている(下の写真)
真夏のコンクール会場で見たこの写真一枚一枚が胸に残っている。
普通の公民館が主催する、この写真展。私達になにを訴えるだろう。
新聞をにぎわす「テポドン」などのミサイル。
こんなミサイルが降ってくるのはごめんだ。
しかし、「なにをするか分からない国、こちらも備えを」「いや、備えではだめだ、先に攻撃を」という議論もテレビやあちこちから聞こえてくる。
沖縄やヒロシマの体験を人々はどう受け止めたか。
もう、二度と戦争はしない、と誓った。
誓うだけでなくお互いの信頼を築き「平和」を作り上げようと誓った。
殺されるのも、殺すのもやめるということだ。
よくよく60年前の結末を心に刻んで現在を生きる教訓にすべきときがきたようだ。
2006年07月08日 09:32
Posted by たる一
│Comments(0)
│Comments(0)