
唄の島から
民謡、唄は旅をする、と思う。
人から人に伝えられ、形も変わる。
けれどもその唄が生まれた土地の匂いや空気を味わうことは大切だと思う。
いまから十年まえ、唄の生まれた島を訪ねたくなり三線一本を担いで沖永良部島への一人旅をした。

「永良部百合の花」で有名な沖永良部島は、まさに花の島だった。

島は平地が多く、その多くが農地。しかし、暮らしは厳しいと聞いた。

お邪魔したのは、広島でお世話になっている唄三線の仲間であり、人生の先輩の御実家。
やはり百合の農家で、お正月だったが夜中まで出荷作業に追われていた。
そんな忙しい中、わざわざ来てくれたといって、ご馳走で歓迎してくださった皆さん。
近所から唄者も来てくださったり、舞踊を見せていただいた。
感謝してもしきれない。

このお家の最高齢だったお母様が先週亡くなられた。
写真では椅子に腰掛けられている。
お元気だった頃のご様子がこの写真からしのばれる。優しいお母様だった。先輩は悲しみの底におられることだろう。
慎んでお悔やみを申し上げます。
人から人に伝えられ、形も変わる。
けれどもその唄が生まれた土地の匂いや空気を味わうことは大切だと思う。
いまから十年まえ、唄の生まれた島を訪ねたくなり三線一本を担いで沖永良部島への一人旅をした。

「永良部百合の花」で有名な沖永良部島は、まさに花の島だった。

島は平地が多く、その多くが農地。しかし、暮らしは厳しいと聞いた。

お邪魔したのは、広島でお世話になっている唄三線の仲間であり、人生の先輩の御実家。
やはり百合の農家で、お正月だったが夜中まで出荷作業に追われていた。
そんな忙しい中、わざわざ来てくれたといって、ご馳走で歓迎してくださった皆さん。
近所から唄者も来てくださったり、舞踊を見せていただいた。
感謝してもしきれない。

このお家の最高齢だったお母様が先週亡くなられた。
写真では椅子に腰掛けられている。
お元気だった頃のご様子がこの写真からしのばれる。優しいお母様だった。先輩は悲しみの底におられることだろう。
慎んでお悔やみを申し上げます。
2010年12月06日 16:43
Posted by たる一
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