
冥土の土産

横川教室に2年ほど通われた平川さんの訃報。
79歳で命を閉じられた。
平川さんのいつもの台詞は
「冥土の土産に三線を習っておりますけー」だった。
真剣を使った剣術の先生で、いくつも道場をご指導されている師範だった。
安波節の唄持ちをくりかえし練習されるとき
「せんせい。もう一度おねがいします」
といわれるときに鋭く光る眼差しにドキっとしたことがある。
「あー何回やっても、いい音がでませんわ。
しかし、沖縄とはなんか縁があるとおもってやっております。」
一生懸命の姿にいつもこちらが元気をいただいた。
それが、しばらく入院します、とお電話をいただき
今年1月にお電話を頂いた時は退院をゆるされた時だった。
「また元気になりましたら、教室におじゃましていいですか」
とお声だけは元気そうだったのだが。。。
七月になくなられたそうだ。
沖縄の人間でなくても、自分の生涯の最後の輝きを
唄三線に求めるヤマトゥンチュがいる、ということを
ここに記しておきたい。
平川さん、ご一緒に唄三線練習ができて私も嬉しかったですし
人生の大先輩としても尊敬いたしておりました。
冥土のお土産に唄三線を持っていかれて
ゆっくりお休みください。
2009年11月15日 11:57
Posted by たる一
│Comments(4)
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この記事へのコメント
ハイサイ たるーさん
平川さんのご冥福をお祈りいたします。
サンシンを習われて、きっとよかったと思ったはずでしょうねー
79歳はまだまだお若いのに残念です。・・・・
林昌先生が亡くなられた年齢と同じ年ですね・・・
20日には、林昌先生を偲んでの公演が音市場であります。
平川さんのご冥福をお祈りいたします。
サンシンを習われて、きっとよかったと思ったはずでしょうねー
79歳はまだまだお若いのに残念です。・・・・
林昌先生が亡くなられた年齢と同じ年ですね・・・
20日には、林昌先生を偲んでの公演が音市場であります。
Posted by MAGI at 2009年11月15日 17:45
涙がこみ上げてきました。
私が平川さんにお会いしたのは、
昨年夏の横川教室の親睦会でした。
最初で最後となりました。
親しみ深い笑顔が思い浮かびます。
私の父と同い年、同じ時代を生き抜いてこられました。
波乱万丈の人生を大切に生きて抜いてこられました。
人生のお話し、時には驚き、時には涙がこみ上げました。
またお会いできる事を楽しみにしておりました。
先にお店を出られたあの時の後ろ姿が最後となりました。
平川さん、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
私が平川さんにお会いしたのは、
昨年夏の横川教室の親睦会でした。
最初で最後となりました。
親しみ深い笑顔が思い浮かびます。
私の父と同い年、同じ時代を生き抜いてこられました。
波乱万丈の人生を大切に生きて抜いてこられました。
人生のお話し、時には驚き、時には涙がこみ上げました。
またお会いできる事を楽しみにしておりました。
先にお店を出られたあの時の後ろ姿が最後となりました。
平川さん、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
Posted by かよちん at 2009年11月15日 18:30
MAGIさん
「サンシンならってよかった」
そう思ってくださったなら光栄ですよ。
彼にとっての沖縄、もうすこしお話できたらよかったと。。。
林昌さんの追悼公演、レポートお願いしますね。
「サンシンならってよかった」
そう思ってくださったなら光栄ですよ。
彼にとっての沖縄、もうすこしお話できたらよかったと。。。
林昌さんの追悼公演、レポートお願いしますね。
Posted by たるー at 2009年11月17日 06:02
かよちん
お会いしたかたはきっと平川さんの
柔らかな笑顔と、その目の奥にある
強いものをきっと感じているでしょうね。
もっとお付き合いしたかった方です。
食堂を経営されているので
「一度飲みにきてください」
といわれていたのに果たせず。
いつかみなさんでいってみたいですね。
お会いしたかたはきっと平川さんの
柔らかな笑顔と、その目の奥にある
強いものをきっと感じているでしょうね。
もっとお付き合いしたかった方です。
食堂を経営されているので
「一度飲みにきてください」
といわれていたのに果たせず。
いつかみなさんでいってみたいですね。
Posted by たるー at 2009年11月17日 06:06
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