
落ち葉

紅葉とは緑の葉っぱに赤い色素が生まれたり、もともとあった黄色や褐色の色素がクロロフィルの減少で目立つために起こる。
しかし何故紅葉が「必要」なのかははっきりしてないらしい。
しかし、わたしなどの素人目で見れば、紅葉は人間の老化=枯れと同じようにみえる。しかし木はそこで「死ぬ」のではなく春を迎えあらたな「生」を迎えるための準備をしているのだから単なる「老化」とは言えない。
けれど「老化」を単なる「死」と同じに考えないで、枯れた姿にも美があるのではないかと感じると、発想が広がる。
沖縄民謡の「うたさー」(唄をする人)達は、歳を重ねるごとに唄に渋さと深い色合いがでてくるように思うのは小生だけではないだろう。
自分も歳を重ねてきたから、いまさら若い人の歌は歌えないし歌う気もしない。
むしろ大先輩方の歌三線の色気に日々刺激されるばかりだ。
枯れ葉の美しさも計算されたものではない。
気候、温度、湿度、養分などさまざまな要因で変化する。
歌三線も計算されたものは美しさがかける。
でも、そこには「木」の「情念」というか、「想い」というものが強く影響しているように感じる。
そういうものがあれば、の話だが。
歌三線も同じように感じる。
歳を重ね、渋さと色合いを深くだせるよう精進したいものだ。
2009年10月27日 23:11
Posted by たる一
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