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てぃーだブログ › たるーの島唄人生 › 歴史の勉強

歴史の勉強

沖縄戦の時代、どんな教育がされたのか。
あの「ひめゆり」の悲劇はなぜ?

そうしたことをときあかすヒントをもらう勉強会に参加してきた。

講師は、元沖縄県人会会長太田弘氏と現県人会会長中村盛博氏。

おふたりの体験と研究の話で大変勉強させてもらった。


明治以降の教育では、皇民化教育と方言撲滅という二大柱の特徴があるのだが、

久米島に在住していた太田氏の家庭ではほとんどヤマト口が徹底されたという。

とはいえ、皇民科教育は徹底できなかったという。

そして、いろいろ討論にもなったが、

私が知りたいと思ったのは、明治、大正、昭和の皇民化教育と方言撲滅という流れのなか

民謡、古典をする歌者はどういう暮らしをし、そういう迫害をうけてきたのか、ということ。

方言撲滅の教育の中では、方言で歌われる唄は、いわばスパイの言葉。

毛遊びも取り締まられるなか、子どもは学校で方言札をつけられて

親が、そういう歌三線をすることができたのか。

先日の照喜納朝一さんのテレビでの話では、戦時下でも三線は大切にされ

唄三線は盛んだったということだ。

このダブルスタンダードが沖縄の歴史に見えないカーテンを引いているのかも。


勉強会は今後も続く。

唄三線をするもの、歴史の勉強も大事だ。

2009年09月27日 21:35
Posted by たる一
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