
新球場で最初に流れた曲は
広島に新球場ができた。
いままで市民に愛されてきた市民球場が、広島駅近くにお引越ししたわけだ。
そのオープニングイベントの、オープニングパレードの先頭に琉風会を呼んでいただいた。

▲新球場には7000人の市民や関係者があつまった。
「新球場ができたら、そのオープニングでエイサーやりたいね」と誰か
いっていたが、実現したわけだ。
琉風会の衣装はいつもと違う。
琉風会のチブルは青。腰は赤。
それを誰かの発案で、今日だけ逆に。カープ色にあわせて。
地謡も急遽、赤布を買ってきてもらって、たすきと三線ストラップを。

広島の球場は昔から「市民球場」と呼ばれてきた。
私はこのネーミングは好きだ。
野球は市民のものである。いくら企業が金を出しても、選手とファンがいてなりたつ。
多額の金を出さないとキャンプも興行もなりたたないからといって、市民を別のところに
置くわけにはいかないはずだ。
だから「市民球場」という名前はよく本質をあらわしていた。
新球場は、名前が変わったという。
そして、今回の市民のイベントも、広島市はあまり協力的でなかったらしい。
「かってにやってください」という空気もあったそうだ。
それでも市民は新球場を盛り上げるイベントを続けてきた。
周囲の、淋しくなった商店街や住民たちのイベントは何年も前からコツコツやられていきた。
そういう人たちにささえられてこそ「新球場」はある、ということを
示したいという人々の想いが、今回のオープニングパレードや球場内でのパネルなどに
しっかりあらわされていた。

琉風会のみなさんととても楽しい時間をすごしながら
横をとおりすぎる綺麗なスーツに身を固めた背広組の目線が気になった。
広島市や企業のお偉方や、もろもろの人々だろう。
こういうと、うがった考えなのかもしれないが
普段着でせっせと球場にパネルをはり、イベントを盛り上げていく市民の姿との対照的な姿。
この球場って、いったい誰のためのものなんだろう。
地謡しながら、こんなことを考えつつ仲間と楽しい時間はすぐにすぎた。
とにかく新球場のオープニングで流れた曲は
唐船ドーイ、てんよう節、海やからーだったわけだ。
沖縄の曲だったということ、
これは歴史に残るかな。。
いままで市民に愛されてきた市民球場が、広島駅近くにお引越ししたわけだ。
そのオープニングイベントの、オープニングパレードの先頭に琉風会を呼んでいただいた。
▲新球場には7000人の市民や関係者があつまった。
「新球場ができたら、そのオープニングでエイサーやりたいね」と誰か
いっていたが、実現したわけだ。
琉風会の衣装はいつもと違う。
琉風会のチブルは青。腰は赤。
それを誰かの発案で、今日だけ逆に。カープ色にあわせて。
地謡も急遽、赤布を買ってきてもらって、たすきと三線ストラップを。
広島の球場は昔から「市民球場」と呼ばれてきた。
私はこのネーミングは好きだ。
野球は市民のものである。いくら企業が金を出しても、選手とファンがいてなりたつ。
多額の金を出さないとキャンプも興行もなりたたないからといって、市民を別のところに
置くわけにはいかないはずだ。
だから「市民球場」という名前はよく本質をあらわしていた。
新球場は、名前が変わったという。
そして、今回の市民のイベントも、広島市はあまり協力的でなかったらしい。
「かってにやってください」という空気もあったそうだ。
それでも市民は新球場を盛り上げるイベントを続けてきた。
周囲の、淋しくなった商店街や住民たちのイベントは何年も前からコツコツやられていきた。
そういう人たちにささえられてこそ「新球場」はある、ということを
示したいという人々の想いが、今回のオープニングパレードや球場内でのパネルなどに
しっかりあらわされていた。
琉風会のみなさんととても楽しい時間をすごしながら
横をとおりすぎる綺麗なスーツに身を固めた背広組の目線が気になった。
広島市や企業のお偉方や、もろもろの人々だろう。
こういうと、うがった考えなのかもしれないが
普段着でせっせと球場にパネルをはり、イベントを盛り上げていく市民の姿との対照的な姿。
この球場って、いったい誰のためのものなんだろう。
地謡しながら、こんなことを考えつつ仲間と楽しい時間はすぐにすぎた。
とにかく新球場のオープニングで流れた曲は
唐船ドーイ、てんよう節、海やからーだったわけだ。
沖縄の曲だったということ、
これは歴史に残るかな。。
2009年04月03日 17:42
Posted by たる一
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