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てぃーだブログ › たるーの島唄人生 › 夢枕に立つ

夢枕に立つ

「夢枕に立つ」という言葉がある。
私はこの言葉から、亡くなった人が枕元に「立つ」んだと子供のころからずっと思っていた。

それが、なんとなく違うとわかりだしたのは胤森タンメーに出会い沖縄の言葉についてやりとりをさせてもらいだしてから。

「面影ぬ立ちゅん」とは「面影が浮かぶ」であることを知ってから、沖縄語の「立つ」には、いろんな意味があることが面白かった。すると、夢枕に「立つ」も同じだと気付いた。やはり同じ日本語だ。

ちょうど去年の今頃だ。
昼休み、タンメーに電話した。コンクールで忙しくてご無沙汰をしていた。石垣方言辞典を「無期限に貸す」と譲受けたあと「まだやる本があるから」といわれたまま連絡しないままだった。


電話の向こうから か細い声がした。

「ありゃぁのぅ、もう家にないんじゃ」
「そうですか…、あとタンメー、教えてほしいことが」
「…もう、わしゃできんのよ、だめなんよ」
「そ、そうなんですか?」

このやりとりが私とタンメーの最後になったと知るのは十月になってから。また、かなり体力も気力もなくなられていた時期に電話をしたのだった。

胤森タンメーは、亡くなったが私は毎日彼と会っている。
彼の文章を読み、調べ、心のなかで毎日タンメーと話している。
夢枕に立つ
彼に頂いた本はボロボロになった。
夢枕に立つ
彼が買ってきてくれた「沖縄語辞典」は何回も修理が必要になった。

タンメーに習い、また自分なりのやり方で「島唄まじめな研究」をはじめた。タンメーもよろこんでくれた。

彼は沖縄の歌を通じて「沖縄語研究」を紹介した。彼がいなければ広島での三線文化はここまで広がっていないかもしれない。
すくなくとも、歌三線にまじめに向き合うたくさんの唄者に深い影響を与えたにちがいない。

日曜日に見た夢。その夢枕に彼が立った。

いつもの笑顔で
「せきさんよ〜」と声をかけてくれたのだ。

たぶん私が死ぬまで私の胸にはタンメーが生きているだろう。

夏の終わりといっても暑い9月18日、胤森弘さんの一周忌がやってくる。

2008年07月25日 13:40
Posted by たる一
Comments(2)
この記事へのコメント
先日は教室でお世話になりました。昨日からBangkokに戻っています。

胤森さんとは、残念ながら、広島YMCAでのイベントで一度お話をしたきり、交流をさせていただくことができませんでした。

教室で、ずいぶん前ですがいただいた、胤森さんの手書きの紙々。なーんと、Bangkokのうちにありますよ。今度、夢で会われたら、お伝えくださいな。海を渡って、国境も超えて、こーんなところにも「たんめーの心」が生きてますよ、って。
Posted by mamemama at 2008年07月27日 00:17
mamemamaさん
コメントありがとう。

>先日は教室でお世話になりました。昨日からBangkokに戻っています。
>

もう、帰られたんですね。教室、お疲れ様でした。また美味しいお酒と楽しい外国の話しをありがとう。

>教室で、ずいぶん前ですがいただいた、胤森さんの手書きの紙々。なーんと、Bangkokのうちにありますよ。今度、夢で会われたら、お伝えくださいな。海を渡って、国境も超えて、こーんなところにも「たんめーの心」が生きてますよ、って。

それはうれしい!タンメーにぜひ伝えましょう。
そして、そちらでも沖縄の歌を歌いつづけてくださいね。
暑いでしょうが頑張ってね〜
Posted by たるー(せきひろし) at 2008年07月29日 07:01
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