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てぃーだブログ › たるーの島唄人生 › 軽くなった命

軽くなった命

美しくも不思議な夕暮れの太陽。
昨日は暖かい日中だった。
梅の花も咲き始めた。鳥もさえずる。
うれしい!春が近いとワクワクするのは「命」のあるものはみな同じだろう。

しかし、最近の新聞はワクワクしない記事ばかりである。ワジワジする。
イージス艦の問題と沖縄の米兵による暴行事件。問題は深い部分でつながっているのではないか。
どちらも庶民の「命」の軽視。そして言い逃れ。
食やらなんやらの偽装問題も同じ。
命を「どんだけーっ」て思っているんだろうかね。

「命ど宝」という言葉が沖縄にある。
「ぬちどぅたから」と読む。直訳すれば「命こそ宝だ」。
この言葉は1609年薩摩藩の侵略をうけた琉球国王尚泰が琉球を離れる時に詠んだ歌
「戦世も終て弥勒世もやがて 嘆くなよ臣下 命ど宝」からきている。
無駄な戦争で死ぬより命を大切にすれば いつか弥勒世、つまり平和な世が来る。と臣下に諭した。

皮肉にも、その沖縄に強力な軍隊が駐留し、中東やアジアの「命」を落とす紛争に投入されている。
大国の利権という「宝」のために「命」を落とす戦争。

命ど宝、ではなく逆の宝ど命だ。
尚泰がこれをみたらどう思うだろう。
だから「命ど宝」なんだって叫ぶかな。

本土は沖縄を、あるときは取り込み、あるときは捨石にし、今は踏み石にしている。
いろいろな理由をつけて。
人々の幸せのため、平和のためだといったりして。
偽装事件となにもかわらない。

400年の時代を経て人の営みはどう変わっただろう。
なんにも変わらないのだろうか。
変わらないもの、春がくれば花が咲き、うれしそうにさえずる鳥たち。
それも温暖化で消えていくかもしれない。
人の営みが命を軽くしている。



2008年02月23日 11:48
Posted by たる一
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