昨日Facebookで、ある沖縄の方からメールをいただきました。
釣り仲間のお父様が作られた歌の意味が知りたい、と。
こんな歌でした。
どうやら国頭村の半地という集落の情景を歌った歌らしい、というのはすぐにわかりましたが、ザークビーとは、ラクサとは何なのか、さっぱりわかりません。
Facebookのうちなーぐち講座の皆さんに投げかけて、お聞きしてみました。
たくさんの方々から情報が寄せられました。
名護に住まわれている方からは、地元の民生委員の方の電話番号を教えていただき、それから村役場の字史編纂室の方、ついには、この歌を作られた金城久司さんの弟にあたる金城正治さんとお話することができました。
以下は金城正治さんたちのお話をまとめたものです。
この歌は、国頭村の半地(はんぢ)という集落にある座峠(
ザークビー)という小高い丘を巡る情景を歌ったものです。
地図をみましょう。
▲国頭村役場から南下すると、比地川があり、その橋をわたってすぐの国道あたりがこのザークビーになります。
今では切り開かれて少し小高い丘が道の横に残っているだけですが、昔は小高い丘に人が通れる道があったそうです。
ここでは、昔よく毛遊び(もーあしび)が行われたそうです。
それで座(すわる)、万座毛の「座」だよ、と教えてくださいました。
「くびー」とは、「狭い」という意味だと教えられました。
「峠という漢字が当ててあるが、昔は村と村の境には、こうしたクビーがよくあった」
調べてみると本土でも地域の境目には狭い道があり、そこから「他所の地域への旅立ち」の安全を祈願する祠があったりする場所を「峠」と呼んだようです。
沖縄では、昔は隣村との婚姻が禁止されていたこともありますが、毛遊びでは隣村の青年男女も出会える場所なので村境いにあった、ということです。
さて、
ラクサ、とは漢字では「落差」と書き、川を堰き止めとめて海水が川に流れ込まないようにすることと、貯めた水を農業用水や生活水に活用するばかりでなく、魚やエビ、カニなどをよく取っていた場所でもあるそうです。
そのラクサがあった比地川。
(写真は呉屋俊光さんから頂きました)
リュウキュウアユの生息地として知られている、そうです。
正治さんも魚がラクサ(堰)を乗り越えて登っていくキラキラした様子をよく眺めていた、というお話をしてくださいました。
まさに暮らしの中に自然があり、自然の中に暮らしがあった時代の良き光景です。
この歌の「松下」というのは、「半地劇場」の近くにあった料亭の名前だとFacebookの書き込みがありました。その経営者のお孫さんから、でした。
つまり「松下ぬ花に想い散らち」というのは料亭で働くある女性への思慕の念を、という風に解釈もできます。
さて、インターネットでの「知の結集」といいますか「肝心ぬ結集」といいますか、すごいものです。
すぐに、ある方が写真をUPしてくださいました。
正治さんの娘さんです。
(写真を快く提供してくださいました。ありがとうございます。)
▲国道58号線、国頭村の半地。向こうに比地橋がかかる比地川が。
▲国道に削られて。昔の小高い丘は見る影がないのですね。
さて、本題へ。
ザークビー物語
作詞 金城久司
( 訳 関 洋 )
1、ラクサ落水に アユぬ魚登て ラクサ落水ぬ光い美さ
◯比地川にかけたラクサ(堰)からの落ちる水にアユが登って跳ねるときの水の輝きの美しいことよ!
2、ザークビーぬ森に 美風寄して みやらびぬ笑 時ん捨てて
◯座峠の森に気持ち良い風が吹いて、娘の笑い声に心は時を忘れて
3、ザークビーぬ水路に 水車ぬして サーターぬ香さ 童とみさ
◯座峠の水路に水車をかけて サトウキビの香りがいいので 子どもが求めるよ
4、山ぐらし終て かやぶちぬ長屋 ザークビーぬやどに しばしやどら
◯山暮らし(戦争からの疎開)を終えて茅葺の長屋 (避難民収容所)座峠の宿にしばし泊まろう
5、戦世ん終て 身心んゆどり 松下ぬ花に 想い散らち
◯戦争が終わって、身も心もそこにとどまって 松下の花(料亭の女性に)想いを寄せて
6、半地劇場に人波ぬ寄してぃ 映画歌しばい 肝にすみてぃ
◯半地劇場に人波が寄せるほど集まって 映画歌芝居で心も染まって
7、美水んかりて 美風んとまて 黄金田ぶっくわ 夢がやたら
◯美しい水も枯れて 気持ち良い風も止まって 実り豊かな田園風景は夢だったのか。。
8、昔はねーちゃる 美森るやしが 時世に流さりて 道路に変わて
◯昔は華やかな美しい森であったが 時代の流れに流されて道路に変わってしまった
Facebookの「うちなーぐち講座」をはじめ、いろいろな示唆や情報をくださった皆様、この場をお借りしてお礼申し上げます。